移民の暮らし 3
スコットランド出身の移民の多くはまずタスマニアへと行き、その後タスマニアを横断してポートフィリップ地方へ向かいました。
移住を奨励する為にポートフィリップ組合が結成され、この組合からタスマニア、スコットランド双方に財政的つながりのあるクライド商会が生まれました。
農業を営む上流階級の人々は、スコットランドロウランド地方から、後にビクトリア植民地となる地をめざしました。
スコットランド人農夫の息子で牧畜業を営む会社の共同経営者ネイル・ブラックは、1839年、メルボルンの地を踏んだ時、ここは「スコットランド人のための植民地」であると言ったそうです。
肥沃なビクトリア西部地域に初めて入植した農民の3分の2近くは、スコットランドの出身であったと思われます。
その多くは「確かな人格を備えた立派なジェントルマンで、本国との縁も深かったのです。
スコットランドで独立して農業を営んでいたアン・ドリスデイルは同様に注目に値するスコットランド人女性です。
彼女は健康上の理由から、ポートフィリップへの移住を決意しました。
1840年ポートフィリップに到着した後、イングランド生まれでドリスデイルより年若のカロライン・ニューカムと牧畜業の共同経営を始めて成功をおさめました。