移民の暮らし 6
すべての場所で、上流階級の人々を含む投資家が成功を収めていたわけではありません。
西オーストラリア、スワンリバーへの植民計画は手痛い結果に終わっています。
大陸東部に入植していた同じタイプの貴族投資家に刺激され、西部地域に植民地を作る計画が、1829年に立てられました。
ここでは各移住者の資力と、労働者の人数に応じて土地が与えられることとなっていました。
イングランド人地主トーマス・ピールと、その共同経営者で、商売を成功させていたエマンシピストのソロモン・リビーは最も広い土地の割り当てを受けた1人。
その土地は250000エーカー(約100000ヘクタール)にも及んでいました。
ピールは400人の入植者を呼び寄せることができた暁にはさらに250000エーカーの土地を、12年後にはさらに500000エーカーの土地を約束されるという条件で土地の開発に着手しました。
ところがこの事業は失敗に終わってしまいました。
せっかく育て上げた作物に対し、買手がつかなかったのです。
西オーストラリアは衰退の一途をたどっていきます。
1850年にはわずかに5886人の人を残すのみとなっていました。