古城の歌碑
海洋博がおこなわれた沖縄島北部の本部半島に、今帰仁城跡という観光史跡があります。
ここは沖縄ツアーにも必ずといっていいほど予定を組まれるほどの人気観光史跡。
周囲1キロあまりの、沖縄ではもっとも大きい城の跡で、三方断崖にかこまれた瞼岨な地形を利用して曲がりくねった石垣が築かれ、その古色蒼然たる跡がまだのこっています。
本丸跡からの眺めはなかなか雄大で、かつてその支配下にあった国鍵地方や伊是名・伊平屋の島々の眺望を見ることが出来ます。
いまは城内に建物はなく、礎石のあとに灌木が茂っているだけですが、かつて大庭といわれた広場の木陰に、ひとつの歌碑が立っています。
今帰仁の城 しもなりの九年母
志慶真乙樽が ぬちゃいはちゃい
・・・「しもなりは」うらなり、「九年母」はミカンのことで、前句の意味は、今帰仁の城に季節はずれに実ったミカンということですが、それは王の晩年になって生まれた子どもをさしています。
その子(ミカン)を、志慶真乙樽が胸にかけたり飾ったりして、たいへん大事にしている、という意味です。
志慶真乙樽は、城壁の東側を流れる志慶真川の上流にある志慶真部落の出身で、たいへん美しい女でした。
黒髪が地にたれるばかりで、その美しさは神のようだというので、彼女は「今帰仁御神」といわれていたといいます。
だからいまでも、美人のことを「今帰仁御神」といい、志慶真乙樽のようだというのです。